📅  2022-06-04

映画的「現実」?

🔖  Cinema

映画の中では許せる、ありえない「現実」の扱い方


 3月に急逝した映画監督・青山真治氏。WOWOWがその回顧ということで代表作を数本放映&配信していました。そんなわけで、長いことタイトルと評判だけは知っていた『ユリイカ』を観てみました。死人まで出たバスジャック事件に乗りあわせた兄妹と運転手が、PTSDを癒やしていくという作品です。長尺(3時間40分)にもかかわらず、場面ごとの静かな余韻、凜としたたたずまい、ときに入る絶妙なトラベリング、セピア色の画面が醸すどこか懐かしい情景などなど、とても興味深い作品で、時間を忘れさせます。

 ただ一つだけ、引っかかるというか、少し違和感を感じざるをえなかった点がありました。後半は、兄妹とその親族、そして運転手の4人が改造マイクロバスで旅に出るというロードムービーになるのですが、終盤、あることが判明し、一行の旅は大きな転換点を迎えます。現実ならば、ここで旅どころではなくなるはずなのですが、映画はでその後も少しのあいだ、さらなる癒やしのための旅が続きます。

 これが、とても不自然に思えてしまったのです。確かに映画的なナラティブからすれば、その転換点で終わりにするわけにはいかないでしょう。でも、その先はもはや幻想というか幻影の世界のようでもあり、描かれる映画のなかの現実性と一続きになっているのが、少しちぐはぐなのではないか、と。

 これ、是枝裕和監督の『万引き家族』の終盤でも感じた違和感です。施設に預けられた子供が、事件の関係者のもとに行って一泊するなんて、まずありえませんよね。映画的にはとても重要な終局の場面ですが、これはあまりに非現実的です。フィクション作品のどこか非現実的(不自然?)な場面を、どう受け止めればよいのか、その是非をどう判断すればよいのか……これは作品受容、ひいては芸術表現そのものにとって、結構大きな問題かもしれません。

 

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