絶版本だけではなく
絶版本とは別に、また知らない外国語の本とかとも別に、そのときそのときで、なぜか「読めない本」というのがあります。なんというか、全然頭に入ってこない、あるいはこちらから入っていけない本、ということです。別の機会に改めて見たりすると、すっと入っていけることもあり、そうなってみると何がネックになって入っていけなかったのか、まったくかわからなかったりします。
この近年で個人的にとりわけ入っていけない本を挙げてみると、筆頭は『原典訳・ウパニシャッド』(岩本裕訳、ちくま学芸文庫、2013)でしょうかね。書かれている中身がこちらに入ってこず、読み進めようとしても、どこか煙にまかれたような状態で、先に進んでいけません(苦笑)。
「そのうちサンスクリット語なんかも学びたいなあ」と思っていましたが、そんなわけでちょっと取りかかれずにいます。うーん、なんだかなあ。
もう一つ、意外なところで引っかかっているのが、『黄金の驢馬』(呉茂一、国原吉之助訳、岩波文庫、2013)。いわずと知れたアプレイウスの「小説」。これが、名文すぎるのかなんなのか、研究といった文脈を離れてみると、純粋に楽しみとして読み進められないのです。なぜだ、と自分でも思うのですが、どうも入っていけません。オウィディウスの『変身物語』とかは問題なく入っていけるんですけれどね。うーん、本読みというのは、意外にも不可思議な営為だったりします。