レーニンの独占主義的資本主義論
kindle unlimitedに入っている光文社の古典新訳文庫から、今度はレーニンの『帝国主義論』(角田安正訳、2006)を読んでみました。ここで言う帝国主義は、自由競争を謳うはずの資本主義が、独占へと腐敗・劣化していくという、独占主義的な資本主義の段階を指しています。
少数の巨大企業が、産業資本としての原料や、金融資本などを独占し、相互にカルテルなどを作って小規模な事業体を飲み込んでいき、果ては植民地政策まで招いてしまうという、19世紀末から20世紀初頭の状況を、批判的に分析しています。現代にも通じる状況についての論考で、今読んでもとても興味深いです。しかも読みやすい、よい訳です(この文庫シリーズでは毎度思うことですけど)。
ここでもまた、主要な論敵が設定されています。それがカール・カウツキーとその思想(カウツキー主義)です。帝国主義を批判しつつも、それに究極の腐敗構造を見ず、なんらかの期待を寄せて修正(改良)を施そうとするカウツキーを、レーニンはプチブル的だと一蹴しようとします。そんな生やさしいものではない、というわけなのですが……。
植民地主義こそなくなったものの、今なお、そしてますます世界を席巻する「帝国」的なものに、人々がいかにノーを突きつけていくかという問題は、依然残されたままです。草の根的な、絶えざる修正の動き以外にないのでしょうか。個人的に飛ばし読みしただけの、ネグリとハートの『帝国』を、もう一度開いてみたくなりました。